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鍼灸師と柔整師のための鍼灸と整体の実践セミナー Seminar for Acupuncturist and Judo therapist

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セミナーレポート(四肢編)「再現性が鍼灸を楽しくする」

再現性が鍼灸を楽しくする(整動鍼 四肢編レポート_2024年8月18日)

 

整動鍼では脊柱の可動性を重視しているのですが、その可動性が失われると四肢で何が起こるのか、どんな症状が起こるのかを解決策と共に学ぶのが、今回の四肢編でした。基礎3編の中では整動鍼の連動をもっとも実感しやすいのではないかと思います。

今回もありがたいことに満席でした。基礎の腹背編や脊柱編を受講しそのまま今回の四肢編を受講される方、完全に整動鍼セミナーが初めての方、復習で参加された方が混ざっていて、とてもよいバランスでした。

当会のセミナーは、各編それぞれが実践的ですが、組み合わせることで効果が増強されるようになっています。特に、今回の四肢編と脊柱編は相性が抜群です。四肢と脊柱の間の連動を行ったり来たりすることができ、四肢編の補助穴として脊柱編で紹介するツボを使うことができます。

腹背編は内臓を調整することで脊柱の安定を図ることができます。このように整動鍼ではいかなる場合にも脊柱のコンディションに注意を払います。特に慢性的な症状では脊柱の安定化は欠かせません。

理論の一貫性

ここで理想の技術について考えてみたいと思います。整動鍼が理想的というつもりはありませんが、理論を構築する以上は理想に近づくように努めています。それには理論の理想像を描いていないと始まりません。ということで、今回は理想の理論とは何かという観点から少し書こうと思います。

もっとも重要だと思うのは理論の一貫性です。症状や状況に合わせて理論を使い分けるのでは、どんなときにどんな理論がふさわしいのかを、その都度判断する必要があります。言ってみれば、理論の選定のための理論が必要になってきます。広く浅く学ぶタイプの人であれば、結果的にそうせざるを得ません。たくさんのことを学んで知識を広げると言えば、聞こえはよいのですが、学んだ知識を統合できなければ、頭の中も施術もツギハギだらけです。

これは、我々鍼灸師だけの問題ではありません。施術の再現性は低くなり、毎回ルーレットで当たりを狙うような施術になってしまいます。また、効果があった場合も施術内容を深めていくことが難しくなります。

一つの技術しか学ばないから浅くなるのではありません。たくさんの技術を学ぶから浅くなってしまうのです。一言で表せば器用貧乏といったところでしょうか。餅は餅屋と言われるように、一つのことに専念しているところにはなかなか勝てないものです。なまじ能力が高いと一度見ただけでマスターできたと勘違いしやすく、多数の異なる技術を組み合わせてみたくなるものです。

 

シンプルを極める

経絡理論は、経絡に帰するように理論が組み立てられています。症状に対して「どの経脈に問題が起きているのか」と考えることで、理論が散らからないようになっています。「症状というものは、すべて経絡で説明できるものではない」という考えもあるでしょう。私もそう思っています。だからといって、すべてを説明できる理論はありません。西洋医学でも同様です。理論はシンプルに思考し分析する道具ですから、全知全能を求めることの方がおかしいのです。ですから、理論によって得意分野が生じることは避けられません。整動鍼においても同様です。

理論を使う上で重要なことは、その理論でできる範囲をきちんと理解することだろうと思います。言い方を変えれば、限界を認めることです。若い人にとっては夢のない話に聞こえるかもしれませんが、「どんな病気でもどんな怪我でも治す」ことを求めるのは夢物語です。

鍼灸ができる範囲を知り、その中で他の分野の追随を許さないパフォーマンスを実現しようとすることが現実的な向上心です。鍼灸でできる範囲は思いの外広いものです。整動鍼を学んでいる方には、セミナーを通じて広さを感じてほしいと考えています。

整動鍼では、ツボ一つひとつに対して生じる変化をきっちり設定するようにしています。その変化は、可動域の変化や触診でわかるため、使ったツボの効果を迷いなく判定できます。シンプルな手続きであるため習得がしやすいのです。

 

古典へのリスペクト

新しい理論を提唱する時にもっとも気をつけているのが、従来の理論へのリスペクトです。医学は常に発展途上ですから、古典に記されているものも発展途上です。絶対視できません。疑って読むべきです。こういうと「古典を蔑視している」という声が聞こえてくるのですが、見当違いな意見です。無条件に信じることはリスペクトではなく信仰です。疑い続けることで発展が望めるはずです。疑って否定できないものが真の価値です。

 

整動鍼は、経絡とは完全に切り離したところからツボの作用を探っています。すると面白いことに古典の理論と重なる部分が見えてくるのです。整動鍼の立場から古典の価値を再発見できるのです。もし、古典がインチキであれば現在まで鍼灸は残っていないと思います。だからといって、すべて正しいと思えば思考が止まり発展は望めません。

 

当会のセミナーには「古典は苦手」という鍼灸師や学生が多いのですが、よくよく聞いてみれば、古典が苦手というより、解釈の幅の広さに戸惑いがあり本質をつかめないことが問題のようです。また、陰陽五行論がスピリチュアルなものと混交される傾向に嫌悪感を抱く人も多いと思います。

 

整動鍼では古典を信仰することなく検証的立場において、古典を評価しています。具体的であり科学的であることが重要であると考えています。言い換えれば、誰でも再現できる可能性があるものを拾い出しているということです。こうした付き合い方が古典に対するリスペクトです。

 

セミナー=検証の場

十分な再現性を確認してからセミナーのカリキュラムに盛り込んでいるのですが、どこかに不備があるかもしれません。そういう意味で、セミナー中のデモンストレーションで再現し、受講者が模倣して再現するというスタイルは、とても意味があると思います。整動鍼はたった10年の歴史かもしれませんが、10年の検証に支えられています。整動鍼が再現性が高いと評価していただけるのは、こうした幾重にも重ねる検証があるからです。もちろん、特定の人にしかできない特殊技法もあるでしょう。そういうものを否定はしません。ただ、誰にでも共有可能なものでなければ継承ができないため伝統にはなりえません。

 

鍼治療はもっと面白くなる

受講者を勝手に検証に巻き込んでいるわけですが、受講者の立場としてみたら重要なのは臨床で役立つことです。もっといえば、リターンがあることです。鍼灸師にとってセミナー受講は投資です。少なくとも、当会のセミナーに訪れる方はそういう意識が強いです。臨床で今以上の成果を出し、今以上の利益を上げることができることを求めています。

とはいえ、鍼治療が面白くなければ、わざわざ鍼治療で稼ぐ必要はありません。仕事がいろいろある中で鍼治療をやり続けたいと思う理由は、面白みを感じることができるからです。どんなに稼げると言われても面白くないことはやりたくありません。だからこそ、鍼治療の面白さを伝えることもセミナーの役割です。

実は、再現できるというだけで面白いのです。逆に言えば、どうなるかわからない、どう評価されるかわからない鍼治療に面白さを感じるのはむずかしいのです。徹底的に再現性を追求する、そのために検証を積み重ねる、これが鍼を面白くする最大の秘訣ではないかと思います。

 

整動鍼セミナー(四肢編)_集合写真)_20240818

2024年8月25日カテゴリー:セミナーレポート